留野楽奈です。
好きなものは誰にだってあります。好きなものってとても大事ですよね。とっても・・・・とっても・・・大切なものは誰にだってあります。
それは人を元気づけたり、勇気づけてくれます。そして人生の中の糧になります。そういうものがあっていいんです。
好きなものを愛する姿勢はとても人生において重要になります。そういうものを持っている人ってとても魅力的に映りますよね。
好きなものはとても大事です。そういう姿勢はいろいろ形を変えて人生を潤してくれるからです。何か夢中になれるものを持ってるって人を輝かせてくれます。
ところがそんなものくだらない、早く辞めろ、という人間がいます。そんなことされたら誰だって傷つきます。どうしてそんなことを言うのでしょうか。
そういう好きなものを好きって言える姿勢ってとても尊いと言えるのではないでしょうか。
好きなものを否定されたら誰だって傷つく
私は暴力を受けるのが嫌いです。だからそういうものは断固として拒否します。ところが世の中にはそういう暴力を使いたがる人間がいて私を傷つけてきました。
そういうのがイヤだと伝えても相手は暴力を容赦なく振るってくる。そして「自分は強い」と快楽に溺れその姿に酔います。私はサンドバッグではないので傷つきました。
そして周りは大ごとにならないように隠そうとしました。私を悪者に仕立て上げようとしたんですね。どうしてそこまで暴力を肯定するのかがわかりません。そういう文化なのでしょうか。
とにかく私は静かに暮らしたかった。しかしその願いは叶えられず私に暴力という名の災害を平気で与えてきます。残念ながら私の平和はもろくも崩れ去っていきました。
読み聞かせにしたってそうです。そんな耳障りなもの聞く価値ない!なんて断言されたら私はどれだけ傷つくことでしょう。そんな心の暴力を与えられたら私の心が傷つきます。
皆さんの好きなものもそうじゃないでしょうか。だからこそ好きなものを好きと堂々と言い続けてほしい。そう思うのです。
いつまでも形を変えて好きと言っていい
好きなものはいつまでも形を変えて好きと言っていいと思います。それは自己満足だろうと構わないのではないでしょうか。価値がないものなどありません。
例を挙げれば絵画がそうでしょう。そういう芸術の作品というのはその人が感じたものを表現しているのでどれをとっても価値があるのです。
ところが売れなければ価値がない。そういう静かな否定の声につられて罵声を浴びせる声が聞こえてきます。それはまさに暴力です。そんなことをやっていい人間などいていいわけがありません。
美術の先生がどれも価値があると言ってたのを覚えています。当時はそんなもの価値があるわけないじゃないか、と思っていたのですが、今ではそれが人を救うのだということをしみじみ感じます。
どの作品にも美しさがあり価値がある。どこかで救われる言葉ですよね。だから絵画って見てるとその時代には価値がなくても没後有名になったとかがよくある世界ですよね。
時代を越えて、人を越えて、国を越えて、伝わるものがある。そういうメッセージが込められているからこそ好きなものは好きなわけです。罵声に負けてはいけません。
人生で好きなものをとことん楽しもう
読み聞かせで最初に聞いた言葉があります。読み聞かせには本ではなく読んでいる人の人生が現れる、と。だから読んでる人で感覚も違うそうです。
私は本屋で絵本を選んで買うのがとても楽しみです。それは国を越え、壁を越えて伝わるものがあります。そして人生に潤いを与えてくれます。
だから好きなものをとことん楽しんでいいのです。どこかで辞める必要などないのです。私は学校を去りましたがそれでもやった思い出の中で読み聞かせを選んで本当に良かったと思います。
人生は命が尽きるまで終わりはありません。人生で好きなものをとことん楽しもうじゃありませんか。それに文句を言うのならその人が間違っています。創作物の価値などわからないのです。
私は表現というものに自分の価値を見出しました。だからとことんまで楽しもうと思っています。自分が楽しかったこと、苦しかったこと。すべてを楽しもうと思っています。
自分には価値がある。そのことを伝えたいです。
きょうはこれでおしまい。おやすみなさい。良い夢を。
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