留野楽奈です。
今日は「けんかのじょうずなやつ」という題の読み聞かせをしようと思います。
昔と今とでは違うケンカの仕方を書いてみました。
ただ、傷口を徹底的に痛めつけるというところは変わりないようです。
ぜひ最後までお聞きください。
傷口を徹底的に痛めつけるところは変わってない
ケンカの上手なヤツの共通点は相手の弱みを徹底的に痛めつけるところにあります。
昔だったら傷のにおいを敏感にかぎつけて徹底的にそこを痛めつける。今も変わりありませんが昔と変わったところは傷を負っているとあらかじめ見せつけて免罪符代わりにして痛めつけるところ。
そうやって自分は高みの見物をして絶対戦場に降りない卑怯なやり方は今も昔も変わらないようです。変わったところはそれがネットであるかどうか。
不特定多数なことをいいことに利用して集団リンチをする。そういう卑怯者がネットではウヨウヨしています。
昔はそういうのがリアルでいました。そういうヤツはトイレに呼び出してそこでリンチをするのです。見えないことをいいことに好き放題やってくれるものです。
しかもそういう卑怯者を皆、勇者として崇め奉り誇りに思います。なんと卑怯なことでしょう。それで高みの見物をしておいてよくそんな鼻高々なことができるものだと思います。
けんかのじょうずなやつ
ぼくはきずをもっている。
そのきずはいまもいたい。
けんかのじょうずなやつはそのきずにむけてこうげきしてくる。ぼくがいたがるのがわかってるから。
そういうよわさをもちながらそだってきた。
だからずっとひとりぼっち。けんかのじょうずなやつはまわりからもてはやされどんどんしあわせになっていく。
そういうすがたをみてぼくは「こういうきずはせめちゃいけない」ってかんじた。だからぜったいせめない。
そうしているうちにおなじきずをもつひとびととであった。でもけんかのじょうずなやつはまたきずにむかってこうげきしてきた。
そういうやつにかぎってぼくのにおいをかぐのうりょくがつよい。すぐにきずをみせぜったいこうげきさせないようにかんじさせる。
そうやってぼくをいためつけつづける。きずはどんどんいたむ。「いたいよう」といってもやめない。
きずをせめられたけいけんがあるからだろうか。ぼくとちがうのは、ぼくがきずをみせても「こういうきずはせめちゃいけない」ってわかってないんだ。
だからへいきでこうげきしてくる。けっしてそのてをとめない。
けっきょくここでもひとりぼっち。ぼくのいばしょはなくなっちゃった。
むかしのけんかのじょうずなやつはきずをてっていてきにいためつけるちからをもっている。いまのけんかのじょうずなやつはあらかじめきずをみせこうげきしちゃいけないんだぞってつたえてからこうげきしてくるちえをもっている。
ぼくはちからもちえもない。ただゆうきがあるだけ。
だからこそきずとはじょうずにつきあっていかなきゃいけない。そうまなんだ。ぼくのよわいとこはよわい。それでも…きちんとむきあっていかないとしんじゃうかもしれない。
でもそれでかなしむひともぜったいいるんだ。せかいじゅうのどこかで。
だからぼくはいきていく。どんなことがあってもそれでもぼくはいきていく。ゆうきのつづくかぎり。そうきめたんだ。
そうすればきっとわかりあえるひとにであえるはずだ。だいじょうぶ。
おしまい
卑怯者は世界のどこかで必ずいる。そして反省しない
卑怯者は必ず存在します。悪ノリして徹底的に攻撃してくる人、言い訳して攻撃してくる人、人を殺すところまで追いつめる人々。
そういう人はどこまでいっても反省しません。やっつけたらゲームをクリアする感覚で消費するだけ。次のターゲットを探してまたやります。
そういう人には決してなってはいけません。そんな卑怯者にあなたはなりたいですか?
卑怯者。恥を知れ。その一言を伝えます。
きょうはこれでおしまい。おやすみなさい。良い夢を。
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